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姿勢

 冥想するときには、背筋をまっすぐに立て、身体をリラックスさせておくことが大切です。身体が堅くなっていると、冥想のあいだに流れ通っていく、神聖に満たしてくれる性質を、自然に受け取ることができません。身体も心地よい状態にしておくべきなのです。居心地悪く感じるときには、自然とその姿勢は変化するでしょう。冥想していると、あなたの内なる存在が、自然にあなたを心地よい姿勢にしてくれます。その後でその姿勢を維持するのは、あなたの役目です。蓮華座をするおもな利点は、それが脊髄をまっすぐに立てておく助けになるということです。しかし、必ずしも身体をリラックスしておくことにはならないでしょう。そのため蓮華座は、正しい冥想のために必ずしも必要ではありません。とてもよい冥想を椅子に座ってする人がたくさんいます。

 求道者のなかには、横になって冥想することを好む人もいます。しかし、そのような冥想は、初心者にも、何年か冥想してきた人にも、まったくお勧めできません。もっとも進んだ求道者と、実現した魂のみがおこなえることです。そうでない人が横になって冥想しようとすると、眠りの世界、ある種の内的な緩慢とまどろみに入ってしまいます。そのうえ横になっていると、あなたの呼吸は意識的にコントロールされていないため、 座る姿勢のときのように満足いく呼吸になりません。

 私の弟子たちはしばしば、眼を開けて冥想するべきかどうかを訊ねてきます。そのようなとき、私は次のように応えます。冥想のあいだ眼を閉じている人は、百回中、九十回は眠りに落ちてしまっています。五分間は冥想していますが、その後の十五分間は眠りの世界に留まってしまいます。そこにはダイナミックなエネルギーがなく、無気力と自己満足があるだけで、ある種の安らかで甘い感覚を覚えます。それからしばらくすると、神の驚くべき恩寵によって再び眠りの世界から戻り、二、三分のあいだ冥想をするのです。

 実際には、眼を半開きの状態で冥想するのが最善です。このような半眼にすると、あなたは樹の根であると同時に、いちばん高いところの枝となります。眼を開けている部分では、母なる大地を象徴する根であると感じます。眼を閉じている残りの部分は、いちばん高いところの枝、ヴィジョンの世界、いわば天国であります。あなたの意識は、最高のレベルにあると同時に、この地上にあって、この世界を変容しようとしています。

 半眼での冥想は、いわば獅子の冥想です。深い内奥にいるあいだでさえ、あなたは意識の焦点を、物質的な水準と潜在意識の水準の両方に当てています。騒音と注意散漫がともなう物質的な世界と、潜在意識の世界、眠りの世界の両方があなたを誘っています。しかし、あなたはそれらの両方と戦っています。