至高の神スプリームの恩寵に頼るようにしなさい。人の能力に頼るのはおろかです。ことがうまくいくと自分お力だと言いますが、人の能力といったようなものはないのです。それは人の能力の中で人の能力を通して作用している、神に基づく大いなる自愛に過ぎません。全て上方からの、豊かなまでの恩寵なのです。
神聖の完成を求め励むシーカーの中には、「神の恩寵を望むのなら、個人の努力の必要性がどこにあるだろうか?」と感じている人もいます。しかしそれは間違っています。個人の努力は、神からくだり来たる恩寵の前に立ちはだかるものでは決してありません。個人の努力は、神の恩寵が降りてくるのをはかどらせるものです。神の恩寵は、個人的努力を無意味とするものではないのです。
真実として、神は私たちの側の個人的努力のほんの一かけらすらなしに、神の望まれる全てを、私に授けることができます。しかし、神は語られます、「個人的にこの些細な努力をするようにと、私があなたがたにお願いするのは、あなたがたのプライドを思ってのことです。」
試み努力するのを拒むのなら、
それはあなたが 故意に台無しにしていることになります、
チャンスとして手にした 一生の存命期間を。