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質問6

質問   どうすれば自分の瞑想を他の人と分かち合うことができますか?

シュリ・チンモイ    精一杯没入して黙って瞑想することは瞑想の一つの形です。自分の仕事を神に、あるいは世界に捧げようとするのも瞑想の別の形です。。
     あるいは顕現と呼んでも良いかもしれません。こういうとき私達は人類の中の神性に奉仕しているのです。 。
    人類に宿る神性に効果的に奉仕するには、奉仕する相手の中に神の臨在をつねに感じていなければなりません。。
    誰かに話すときには、その人の内なる神性に話しかけているのだと思わねばならないのです。もしそうしないで、スープリームに奉仕しているのだというはっきりした感じなしに自分勝手なやり方で人を助けようとしても、その仕事は顕現された形、あるいは行動の中の瞑想とは見なされ得ないのです。。
    祈り瞑想すると、神とは全ての人の内に宿っていらっしゃる生きた実存なのだと感じるでしょう。。
    神はどこにでもいらっしゃり誰にでも宿っておられるのは事実です。しかし祈り瞑想するならば、頭で信じていたこういうことが現実の生きた真理になるのです。。
    そうなると神がその人の中に宿っているからという、まさにそれゆえに各々の人に意識的に奉仕するようになるでしょう。。
    私達の行動の中に神も見えず真理も光も見えないとなると、私達の物質的マインドは自分のしていることが価値ありとは確信できないかもしれません。。
    今日は誰かに奉仕しても、翌日には「ああ、彼はこんな愚かだ!信仰心もないし良い性格でもない!どうして彼に奉仕なんかしなければならないのか?」と思うのです。。
  ある人を、祈りも瞑想もせずに眺めれば、私達はその人を魂から分けて見てしまうことになるのです。