質問 クンダリーニヨガを実習すると、ある超能力を得るということですが、こういったパワーがもしそんなに悪いものならば、なぜ神はこれらをお与えになるのですか?
シュリ・チンモイ クンダリーニパワーから引き出されるこういった奇跡は、庭で子供達がしている遊びのようなものです。子供には、花を摘んだり誰かをつねったり、自分の力を見せるために煉瓦を投げたりいろんないたずらをしたりする能力があります。宇宙の母は彼女の子供達の遊びを見守っていらっしゃいます。普通の母親のように、彼女もまた自分のまわりで子供達を遊ばせて楽しんでいらっしゃるのです。「私の子供達は、ジャンプできる、走ることができる、投げることもできる。ゲームを、宇宙のゲームを楽しましょう」と彼女は言います。けれども父親は子供達を始終遊ばせてばかりはいられないと感じます。時には勉強もさせないと、馬鹿になってしまうと思うのです。
母親というものは、子供がいくつになっていようとも、やっぱり息子は自分の子供、自分の赤ちゃんだと思っています。けれども父親は、息子が13歳か14歳になったとみるや、自分の全ての知恵を、息子に伝えようとするのです。彼は言います。「おまえはもう自分を子供だと思ってはいけない。明日にも私は死ぬかも知れないし、そうなったらおまえが私の代わりになって、私の仕事全てに、全責任を負うんだぞ。」母親は、「いいえ!いいえ!私の子供は自分のそばにこうして置いておきたいのです」と言います。むろん私は母親の悪口を言っているのではありません。自分の息子を、永遠に子供だと思っているのが、母親の本性だと言っているのです。父親は、「おまえがいつまでも私の子供だというのは確かだが、おまえは私のために働かなくてはならない。全てのことに責任を取らなくてはならない。おまえを引き立ててやったり色々するのが、いつまでも続くわけではない」と言うのです。
さて、宇宙の母は、全てのクンダリーニパワーを持っていらっしゃり、クンダリーニパワーそのものでいらっしゃり、クンダリーニパワーを、遥かに遥かに超越していらっしゃいます。その超越的意識の中で、彼女は絶対者と一つなのです。けれども彼女の遊び好きな意識の中では、彼女は自分の子供達と宇宙のゲームを楽しんでいらっしゃるのです。
キリストは33年しか地上にいませんでした。そして最後の3年間だけ彼は奇跡を行いました。いまだに世界中が、彼をあがめ礼拝しているのは、彼が水の上を歩いたり、死者を蘇らせたためだと思いますか?違います。彼がいまだに礼拝されているのは彼の奇跡の故ではありません。彼が永遠の意識、無限の意識を携えて降りてきたからなのです。
もし誰かがここにやってきて奇跡を行うと、私達はそれに魅せられます。しかし家に帰ると、その人がやったことに対して信頼が全く続いていないのに気づきます。何か魔法やトリックだったように思えます。そしていつまで自分の中に、自分のまわりに、魔法使いを大事に育てておけるでしょうか?それに対して、もし誰かが私達の意識をほんの一瞬でも、高めてくれたとすれば、あるいは何かを自分の渇仰心で達成したとすれば、その経験への信頼は、持続するのです。