(2007年10月14日、ニューヨーク)世界の調和のために人生を捧げたシュリチンモイがニューヨークのクイーンズにある自宅で11日木曜の夜亡くなったが、プライベートで行われた告別式には、世界中から訪れた何千人というシュリチンモイの生徒や賛同者のほかに、各界からの著名人も多く出席した。式での多様な顔ぶれは氏の普遍のメッセージを体現するのにふさわしいものとなった。
突然他界したシュリチンモイに追悼の意を示そうと、各宗教界のリーダー、国連職員、人道支援活動家、スポーツ界を代表するアスリートやミュージシャンなどが、告別式出席のため氏の庭園を訪れた。
オリンピック金メダリストのカール・ルイスさんは、「シュリチンモイさんはいつも私を鼓舞してくれました。私は走ることにおいてシュリチンモイさんの外的コーチで、反対にシュリチンモイさんは私の内的コーチなのだ、とよく言われたものです。これで私は生徒を亡くしてしまったわけですが、私の心のコーチはいなくなってしまったわけではない、と強く感じています。」と述べた。
グラミー賞受賞シンガーのロバータ・フラックさんは涙声で、「シュリチンモイさんを敬愛していました。今も敬愛する気持ちは変わりません。シュリチンモイさんに初めてお会いして、私の人生は全く違ったものになりました。このことについては、世界中に感謝したい気持ちです。」と述べた。
ボクシング界の重鎮モハメッド・アリさんの娘カリア・アリさんは、「父モハメッド・アリに代わって申し上げたいのは...シュリチンモイさんに実際お会いした経験をパワフルだった、と表現するなら、この節目の一時をここにいらっしゃる皆さんと共にしていることは真に自分を変革してくれるものだ、ということです。」とコメントした。
告別式には参加できなかったが追悼のメッセージを寄せた各界のリーダーには、米国上院・下院議員、ネパールやナミビアなどの首相、そしてノーベル平和賞受賞者も数名名を連ねた。
ミハイル・ゴルバチョフさんのメッセージには、「長年の友を失ってしまったのはひどく残念なことです。シュリチンモイさんは全人生を平和に捧げた男として私たちの心にいつまでも残ることでしょう。私達がシュリチンモイさんを忘れることは、永遠にないでしょう。」とある。
またデスモンド・トゥトゥ大司教は、「シュリチンモイさんは偉大な方でした。人の中にある良い面を多大に育み勇気づけたことに神は微笑んでいらっしゃると思います。疑い、敵意、対立といったことがはびこる現代の世の中で、信仰の異なる者たちが歩み寄れるよう不休で働き続け、多くの人がその生き方を見習いたいと鼓舞されてきました。」というメッセージを送った。
1996年のノーベル平和賞受賞者である東チモールのカルロス・ベロ司教のメッセージは、「生と死を司る主は、その最も祝福された息子を今迎えていることでしょう。宗派の異なる者同士に平和と調和をもたらそうと不眠不休で尽力した息子を。」というものだった。
ノルウェーのオスロ市長スヴァイン・クリスチャンセン氏はシュリチンモイを心から支持する一人であったが、「シュリチンモイさんは私たちの心の中に永遠に生き続けます。貴方の放つ光が世界中いたるところに届き続けますように。」というメッセージであった。
バン・キムーン国連事務総長のチーフ・オブ・スタッフであるビジャイ・ナンビア氏はこう述べた。「国連内そして世界中で内的平和を築き上げたシュリチンモイさんのご功績に対して多大な尊敬と感謝を申し上げます。事務総長も同じように感じられている、と確信しております。」
当時の事務総長ウ・タントの後援で、1970年、シュリチンモイは国連でのピースメディテーションを設立し、以来ニューヨークにある国連本部で週二回、平和のための瞑想を行ってきた。
元国連事務次長、現英国の閣内相マーク・マロック・ブラウン氏の言葉は次のようなものだった。「国連では、シュリチンモイさんの私たちに対する愛情の力を感じることができたものです。(内面の)スピリチュアル・ライフを生きたシュリチンモイさんは、物質世界での国連の必要性を良くわかっていらっしゃいました。この二つがいつか調和の実を結ぶように、という願いの元に。」
ダルフール特命全権大使ジャン・エリアソン氏は以下のように述べた。「大変な損失です。シュリチンモイさんは慈愛と容認の心の方でした。人類の中にある一番素晴らしいものを代表した存在でした。」
アル・ゴア、ダニエル・アカカハワイ上院議員といった米国のリーダー達からのメッセージも読み上げられた。1964年に渡米以来、シュリチンモイはアメリカを第二の祖国とし、その美と頼もしさについて綴った作品が多数ある。
「世界平和大使として知られているシュリチンモイさんはその内的財産を、世界中で誠実に真実を求める者たちと分かち合われました。ここでシュリチンモイの生徒さんたちと共に、敬愛を込めたお別れをさせていただきます。」とアカカ上院議員は述べた。
シュリチンモイの住んでいた地区の選出であるゲリー・アッカ―マン下院議員からは、まだ通夜の開けない土曜日の段階で追悼文が届けられた。そのメッセージは次のようなものである。
「私達1人1人が非常に恵まれていた、と申し上げたい。生きる指標になるメッセージを下さった偉大な師匠であり先生、我々を激励してくれる素晴らしい存在、に出会うことができたのですから。死と言うのは、それ自体混乱してしまうものです。それが、あのように信じられないダイナミズム、ものすごい強さ、非常な謙虚さそしてパワーを持つ方がなぜか私達の人生からいなくなってしまった、となれば尚更戸惑ってしまうものです。しかしこれは正しくはない。亡くなってしまったということは現実かもしれないけれど、正しくはない。ヴィジョナリー(先見者)とはヴィジョンを持つ人のことです。ヴィジョナリーはいなくなってしまったかもしれませんが、ヴィジョンはここに在り続けます。」
シュリチンモイと同じくインドのベンガル出身の音楽家ラヴィ・シャンカール氏は、シュリチンモイの親しい友人であったが、そのメッセージには「わが兄弟チンモイがいなくなってしまった、もう声を聞くことも会うこともできないとは信じられない。彼は全ての人に対して非常に大きな愛があった人だった。残念です。ずっと忘れることはありません。」というものだった。
シュリチンモイの遺体は近親者の葬儀で埋葬されることになっている。