しっかりした自覚のある、神とのワンネスを確立しなくてはなりません。そうでないと何らサレンダーではありません。単にお互いの利益のために妥協し合うだけのことになります。
この地上の何億という人々が、自分たちは神の道具とか楽器としてあるのだ、という真相に気がつかないでいます。私たちの場合、神性修養を中心にすえたスピ リチュアル・ライフを受け入れていますから、神の楽器・道具としての存在であって、演奏者であったり道具を用いたりなさるのは神なのだ、という真実を十分 に自覚しています。こうした感覚を保ち続けることができると、神から想いがそれてしまう誘惑ということなど生じません。行為主体のままでいようとすると、 悪の力が襲ってきて私たちを一飲みにしてしまうのです。
しかしもし私たちがどうしようもないくらい無力になって、「私は楽器や道具です、おお神よ。」と感じると、その時にあらゆる誘惑がやって来て、内なる導き手インナー・パイロット、すなわち神に襲いかかろうとしても、全く何ひとつ影響されることはありません。
誰であろうと自らのいのちに体験する
輝かしいサレンダーの微笑みを、
ひとつの永久に続く神の真実として受けとめる者は、
まちがいなく 選び抜かれた名器中の名器、
最愛なる至高の主スープリームの。