至高の神に捧げるサレンダーこそが神々しい歓喜であり、いつまでも強く不変の歓喜です。
すっかり捧げつくし何もかもサレンダーしていく上で、自分自身を毎日毎日その捧げ委ねる対象にしていくのが、聖なる至福の最も高い形態です。至福が訪れるのは、「私、私のもの」と「御身、御身に属するもの」とが、永久に私たちの元を立ち去るときです。
神が私たちのものであり、私たちは神のものであるということができるようになるときにのみ、聖なる至福がやって来られます。
その次には、神が私たちの中で、私たちを通して顕現しつつあると感じるようになると、更に輝かしい至福を得ます。
そしてついには、私たちが存在しているのは神を、ただ神だけを喜ばすためであると感じるようになり、私たちが地上世界に入ってきたのは、ひと えに神を喜ばすためであると感じるようになると、そのときには、ひたむきに捧げ委ねるサレンダーのハートの中に、もはやこれ以上にはない、あふれる光輝の 至福が、暁の太陽のように現れ出るのです。
あなたは光り輝くために
アスピレーションを起こしているのです。
全くこれは、ハッピーな体験です。
あなたは聖なる真理を 探究しています。
全くこれは、もっとハッピーな体験です。
あなたは自分の地上的な存在を、
神々しい歓喜にある生き方に向けて サレンダーしています。
全くこれはハッピーを極めた、この上ない体験です。