手足の如き神の自在の道具になりたいのでしたら、私たちは自分に規律を課した修養を実践しなくてはなりません。
もし私たちが内的生命の中に深く潜りたいと思い、心の深奥の神聖ソールの導きを受け、ソールの意向どおりに育っていきたいというのでしたら、そのときには私たちは、とても力強くなくてはなりません。
わたしたちに必要な力強さは、物質的な力がそれほど要るのではなくて、規律を課して自分を磨く自己鍛錬の力であり、自分を深くよく調べる自己観察の力であり、さまざまの感覚に振り回される生き方から引き下がる力であり、与え捧げる献身の世界にあって自分を目立たないようにして、アスピレーションとメヂテーションとの世界で、豊かに満ち足りるを知る力です。
地上的なものを越え行く 神聖の気高さも、
困難・障害を伴っていなければ
空想だけのざれごとです。