聖なる光が物質のからだの意識に入ると、あらゆるたぐいの恐れや不安がまちがいなく消滅してしまいます。
スピリチュアル・ライフにあって神を望んでいても、無限なまでの神の大いなる光をちょっとでも 目にすると、死んでしまうかのような恐がり方をします。自分の欠点や不完全さのすべてが、あばかれてしまうように感じるのです。そんな思い違いはしない で、神の大いなる光があるのはただ私たちを啓発するためなのだと、いつも感じていなくてはなりません。
私たちの達成にはなんら制約がありま せん。神性をこの世で体得実現するリアライゼーションにも、私たちの努力で神の高みをこの世に物質化して神を地上に現す、マニフェステーションにも制限が ありません。それは神なる光が私たちの内にあって、絶えず導いてくれるからです。何ひとつ恐れるものはないのです。
ハートを目の当たりにして
ソウルの放つ光輝きに満ちあふれているのを知ると、
マインドはわが身をののしって言いました。
「妄想妄念に誑かされて 今まで知らずにいたとは!
ソウルを訪ねればよいのだ、
ハートのもっともっと奥深くに、毎日毎日。」