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7月18日

こころの内に超絶神秘の聖なる光を一目見ようと強く求め、ひと本来の表層資質については申し分ないまでに熟達しようと努めると、完全無欠ははるかな夢物語ではなくなります。

   強引にことを進めようとしてはいけません。神性の気高さとは受容と変容の世界です。いのちをあるがままに受け入れ、それからそのいのちを変質させようとするのです。しかしどんなことをしてでも変えてしまおうというのではありません。神性の手だてとするのは、神に強く憧れ求めるアスピレーションです。もし能力のわくを越えて推し進めようとするなら、壊れてしまいます。力の及ばぬとても重いものを子供が運ぼうとしたら、ひどい苦しみとなるでしょう。急がば回れです。
   ここで言う力とは受容能力のことです。受容能力を大変な大きさに発達させると、どれほどの神性の高みに至っても、上方からどれほど引き下ろそうとも、十分に消化吸収できます。受け取る器がとても大きければ心配ありません。ですから最高の高みめざして昇って行こうと強い憧れをいだくのでしたら、器を大きくしようと強く求めなくてはなりません。初心者だけではなく、とても上達したスィーカーであっても、みじめな体験に苦しんできているのです。
   物質のからだでは、神性の力で引き下ろすピースや聖なる光やパワーなどを受け取って保つには、十分な器にありません。ですから物質のからだの受容能力とハートの受容能力との間に、完全な釣り合いがなくてはなりません。

愛はいのち。
いのちは光。
光は神の大いなる瞑黙にして、人の救い。