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9月10日

グラティテュードをもっと強く、もっと深くする一番の方法は、ミルクやおもちゃを欲しがって泣きさけんでいる幼児も文字通り顔負けに、こころの奥深くから想いのかぎりを尽くして、あきれるほどにも天真爛漫に強く求めさけぶのです。

   いま仮に、神をお店の主人としてみましょう。たくさんの品を売っています。愛、喜び、美、ピュアリティ、恩寵、その他たくさんの品々です。しかし神が開いているこのお店の中で、あるひとつの品が途方もない最高の高値となっていて、それがグラティテュードです。
   お店を開いている神のところに行くと、とても安くしてあるので何でも買うことができるのですが、グラティテュードを買おうとすると、値段を聞いてショックを受けます。とてもそんなお金を持ってはいません。これはどういうわけでしょうか?
   それは、グラティテュードを買うには、私たちは神に憧れて強く求めるア スピレーションそのものであり、献身そのものになってしまう必要があり、ひたむきに尽くすディボーションの愛そのものに、そしてすべてを神に委ねるサレン ダーの愛そのものでなくてはならないからです。
   アスピレーションをいだいて献身に生きるいのち、そしてディボーションとサレンダーという究極の愛に生きるいのちこそが、神のお店から深い感謝の愉悦と祈り、グラティテュードを買うのに使える通貨となっていくのです。

神の高みを求めて励むスィーカーが
感謝の祈りをほんのわずかでも神にささげると、
一輪のきらめくバラの、
神ご自身が手になさったかのような
崇高なまでの美しさ。