あらゆる執着をすっかり捨て去った完全放棄と、自分そのものをすべて明け渡して委ねてしまう徹底した自己サレンダーとは、天の神々の世界の通貨の表であり裏です。
あることが神の御意志かどうかを、どうやって知ったらよいのでしょうか。何かが神の御意志であると、それを始めるに先立って、こころの内に喜びや充足感の ようなものを感じます。ことを進めている間にも、やはり喜びを得ます。そしてついには、その行いが実を結ぼうが結ばなかろうが、等しくハッピーになるだろ うと感じるようになります。
普通の生き方の場合、うまく成功を収めた時にのみ幸せになります。旅の終わりに勝利を目にする時にのみ、私たちはハッピーになり大喜びするものです。しか し、成功を収めようと失敗に終わろうとかかわりなく、幸せ感、喜び、充実感などがあり、行いの結果を、こころ弾ませて最愛なる主スープリームの御足のもと にささげることができるようであるなら、その時にのみ、為したその行いが神の御意志のものであると分かります。
そうでない場合は、うまくいくとその行いは神の御意志であったと感じ、失敗すると、その行いは邪悪の力が意図したものであったと口にします。あるいは、う まくいくと個人的な努力、自分の意志あってのものだと語り、失敗すると、それは神が事の成り行きを重んじてはおられなかったからだ、と言ったりします。
間違いなく神の御意志を知るようになります、
神のなさるがままに、
確かな現存として神を感じてゆくのなら。