神に強く憧れるアスピラントが、質問好きのマインドは容赦なく飢えさせておいて、備わったサレンダーの方を豪勢なほどにもたっぷりと養っていると、神はおっしゃいます。「機が熟した。行ってあげよう。」
ひとの愛は拘束するものですが、神性の愛は開き広げます。
ひとが愛情を傾けてひたむきに打ち込むと、それは知らず知らずの内に愛着となります。しかし、神に対してのひたむきに尽くすディボーションの愛であれば、しっかりした覚醒意識のままに、神という私たちの究極の現存に気づいています。
人のサレンダーは主人への奴隷の全面服従ですが、神性のサレンダーは、有限なる者がなす大いなる無限者へのサレンダーです。このサレンダーは、しっかりし た自覚を伴う、想いの限りを尽くした徹底的なものであって、ひとにその大いなる源である神を体得・実現できるようにしてくれます。
朝方
願いを込めて完全無欠を祈る、
それは咲き開きゆく信によって。
夕方
願いを込めて完全無欠を祈る、
それはサレンダーに生きるいのちによって。