「何もかも無条件に与えなさい。」神の真意はここにあります。「こころ弾ませて楽しく受け取る。」これがひとの思惑というもの。
何かをなそうという時や何かを言う前や、何かになろうとしている時に、自分の中の内的存在に尋ねなくてはなりません。深くこころの中に入ってそれが神のご 意志なのかどうか、神がそれをお望みなのかどうかを、深奥の神性ソウルに尋ねる必要があります。一瞬ごとに、神がそれをお望みなのかどうかを問う必要があ ります。そうしなければ相手の気持ちをどれだけ理解するかに応じて、あなたが私をそして私があなたを喜ばす方法がたくさん生じてしまいます。
与えることはとても素晴らしいことです。受け取ることもとても素晴らしいことです。しかし神こそが、私たちに与えたり受け取ったりする気持ちを起こして下 さるとされる方であったのです。神の叡智に問わずしてことをなすのも勝手ですが、神の叡智の導きを請うてから行うのであれば、その場合は神が責任を負って おられるのです。
神が載せてくださる冠は、
神をいだくハートのみが生じさせる
不死不滅の歓喜の滴の栄冠。
奉仕に励むスィーカーの
ひたすら無私に澄みわたる頂に。