測り知れない神の秘儀の世界は、ただひとの中におわす神に奉仕する者のためにあります。
人間としての私たちが神のような崇高な存在に姿を変えたいのなら、地上世界で気高い自己犠牲をなす必要性をしっかり理解しなくてはなりません。ところでこ れからするつもりの自己犠牲が完全なものなのかどうかを、どのようにして知ろうというのでしょうか。与えることによってもっと多くを得るのは無論のこと、 完全な自分に高まってゆくのだと感じ取れるなら、そこでの自己犠牲は完全であると言えます。
自己犠牲は愛の形を取ります。母親は持っているもののすべてを、子供にとても優しげに与えます。安らぎや喜びを他の人たちに少し与え、まだもっとたくさん 持っているようなら、その人たちに申し分なくしてあげたのではないし、自分自身をも完全なものにしたのではないと感じ取ることになります。
安らぎや愛や至福を他の人たちに十分に、そして想いの限りを尽くしてささげるなら、その時にのみ、私たちはあふれんばかりに満たされ得るのです。神ご自身が私たちのためにいっぱいに注いでくださります。
ひたすら無私に澄みわたる奉仕。
それはすべてを神に委ねる篤い信を
いかなるものよりも甘美に保ち、
神と一つに溶け合う深いワンネスの愛を
いかなるものよりも強く豊かにする。