一瞬一瞬を神のため、至高の主スープリームのため、つまりあなた自身の崇高な目的のために活用することができます。過ぎ行く時の流れは、戻って来るものではありません。
義務がつらくてつまらなくて単調なものになってしまうのは、エゴのこころ、自尊心や見栄で取り組むからというだけのことです。義務が楽しくて励みになり、ますます意欲が湧いてくるのは、神のために義務をなす場合です。必要なのは義務に取り組む態度を変えることです。
神のために働くのであれば、義務というものは存在しません。何もかもが喜びであり、何もかもが美となります。行いのひとつひとつが神の御足のもとでなされ、ささげられなくてはなりません。神ゆえの義務こそは究極の義務です。
私たち自身の神性の気高い救済を達成しないうちは、神ゆえの義務以外のいかなる義務も、負う正当性を持ち合わせてはいません。私たちがこの世に生を受けたその時に、神がこの素晴らしい仕事を委ねてくださったのではないというのでしょうか?
神ゆえの究極の義務とは、最高の高みの絶対なるものを体得実現する神のリアライゼーションを目指して、一所懸命絶えまない努力を積み重ねることです。時は わずかですが、地上での私たちのソウルの使命はとても高貴です。時間を浪費できましょうか?五感の楽しみなどに時を割いたりしておれましょうか?
神が御こころを明かされ
ご自身の壮大なご計画をお示しになる時には、
強く駆り立てる想いのまま即座にお伝えしなさい、
神を輝かしく顕現させたいと。