ハートの純粋な清らかさや、麗しき美や、気高い神聖を目にすると、私のマインドは、しばしばすっかり度を失ってしまいます。
思いや考えにおける清らかさを達成するのは、ひどく難しいことです。外の行いの面の清らかさは、もっとたやすいのですが、先に思いや考えでの清らかさが、出来上がらなくてはなりません。
どうすればマインドでの清らかさ、思いや考えの面での清らかさを、手に入れることができるでしょうか?私たちが自分自身を物質の体ではなく、心の奥深くの神聖、ソウルなのだと感じるようですと、この清らかさはたやすく得ることができます。
「心の奥深くの神聖」という言葉は、直ちにマインドの中に、あふれんばかりの純粋・清らかさをもたらします。清らかさのほうが、私たちの元にやってきます。物質の体なのではなくソウルなのだと思った瞬間、清らかさのほうから、私たちの元に現れざるを得ないのです。
たとえソウルが何であるかを知らなくても、「心の奥深くの神聖」という言葉そのものが、マインドに光り輝く感覚、神の崇高さの感覚、純正の喜びの感覚をもたらします。そしてこれらの神聖の資質は、ごく自然に、純粋・清らかさを生み出します。
私は真似をします マインドに 真似て手本にして欲しいと思います。
一体何を真似しようというのでしょうか?
まねて 手本として見習おうというのは、
麗しい純粋ハートという
清浄高雅な薫りを放つみずみずしいバラ、
フレイグランス・ローズです。