心の外側世界での真の自由は、心の中の平和によってのみもたらされます。
子供は騒がしさや活発な動きの中に、安らぎを見出します。大人はどこかほかのところに安らぎを見出します。大人が安らぎと平和を見出すのは、世の中で自分が幅をきかしておれると感じるときです。老人の場合であれば、世間が彼のすばらしさを認めてくれるようなら、安らぎを得るだろうと思います。しかし正しく追い求められなければ、平和の安らぎは決してどんな人にも訪れません。
いつの日か、子供が落ち着いた静かな生活を神に祈るようになるでしょう。そうすれば子供は聖なる安らぎを手にします。
大人が安らぎを手に入れたければ、世の中を自分のものにしたり支配することによって得られるものではないのだと、気づかなくてはなりません。その人に備わりその人たらしめているものを、世の中に最大限に差し出して与えることによってのみ、聖なる安らぎを得るのです。
いずれは永遠という名のカーテンの陰に去っていく老人の場合は、自分が物乞ではなく一人の王なのだという考えを抱くようになると、安らぎを手にすることができます。王が心の中の富と物質の富とを人類に与えてしまっています。一生のたそがれ時に世の中から何一つ期待することがなければ、彼の内面意識と心の外側の存在とは、聖なる安らぎ・ピースであふれるようになります。
平和は 神聖の愛の始まり。
平和は 神の理法の成就。
平和は 神なる源への帰還。