神を愛する人の中におられる神を愛するだけでは、十分ではありません。神を嫌う人の中におわす神をも、愛さなくてはなりません。
人々の神の概念は大変奇妙なものです。小学校の先生のような神を感じていて、真理の道からほん のちょっとでもそれたりしたら、いつでもとことん厳しくしつけると思っています。しかしこうした神の概念は愚かというしかありません。暴君の神などいるは ずがないのです。唯一の神がおられるだけであって、その神とは愛なる神です。
愛なる神は私たちを罰したりはなさいません。愛なる神は絶えまなく神ご自身の方法で、私たちを形作っておられます。為すのも神であり行ないそのものも神であり、楽しまれるのも神であって、行ないの中にあって楽しまれ、結果をも楽しまれるのです。
しかし私たちは、行為主体が自分であり、何かまちがったことをすると神が容赦なく罰するのだと思い込んでいます。そんなことはありません。一人一人が 神のドラマを具現しているのです。神の真実を一人一人がこの地上世界に物質化させ、顕現させなくてはならないのです。そしてまた一人一人の中にこそ、神の 真実が宿され息づいているのです。
誰かが頼みごとを言ってきたら、
何だと思いますか
親切ごころで実際に与えるものは?
その人にもたらすのは、
あなたに備わる とても豊かな愛のパワーです。