こころの外側に光を感受すると、瞬時にひらめくインスピレーションを得ます。光を内側に感受すると、いつまでも持続するアスピレーションを得ます。
真実の光が現れ、ピュアーにして崇高な神性の光であるのなら、目にしているものをマインドが疑ったりは決してできません。実際に見ているのにその神性の光を疑るほどの力は、マインドにはありません。見ていながら疑っているようでしたら、それは目にしているのが真の光ではないということです。さん然と輝く光のさまは、いかなる疑念や疑りもはねのけてしまいます。神性の普遍識そのものである絶対の至純ピュアーの光であるのなら、目にしていながら疑ることはできません。
真実の光、神性の光、究極無比の光が現れると、その時にはマインドは一掃され全く機能しなくなります。神性の光がやって来るとマインドは存在できません。全存在をあげてすべてがソウル、すべてがハート、すべてがワンネスになります。
はちきれんばかりに いのちが過充電され
神の大いなる慈愛の光に満ちあふれていなければ、
やがては毒されてしまいます、
無知のよどんだ息づかいによって。