8月9日
私が唯一強く責任を感じているのは、神の大いなる御意志を実現させようということです。
ほかの道の人と同様に、ディボーションの道にあって神を求め励むアスピ ラントにも、ぜひ必要なものがあります。しかしディボーションのアスピラントの場合には、その必要性が神の大いなる愛、そして深い慈しみといつも相伴って みられ、切り離されていることはありません。
真のディボーションにあるひとなら、神を愛するのは自分の人間的な欲を満たしたいからなのではなく、神ご自身のあり方で神の御こころを満たしたいからなのだと正しく理解しています。
アスピレーションを起こしていないひとにとっては、生は業罰であり、まぎれもない責め苦です。しかしアスピレーションをいだいているソウルにとっては、この世のいのちの一瞬一瞬が、自分に啓発をもたらし神の御こころをもかなえる貴重な機会です。
さらにはディボーションの輝くおもて道の場合となると、アスピラントは よく知っていて、自分が神の無限の大いなる慈愛に強い飢えをいだいているように、神もまた、しっかりした自覚をともなう神とのワンネスを、アスピラントが 絶えず保ち続けてくれないかと、しきりに求めているのが真実です。
言いたいとおりに言ったこと:
「私の主は、大いなる慈愛そのものです。」
言ったとおりにぜひしたいこと:
「どんなことがあっても 絶対になってみせます、
神の完全な自在の道具に。」