9月3日
絶えまなく内に強く求めさけぶことによって、感謝の愉悦と祈り(グラティテュード)が表に引き出されます。
肩書きや名声、即物的な力や物質的繁栄などを何がなんでも手に入れたけ れば、ひとは外に向かって強く求めさけびます。しかしこころの内側に向かってさけぶとしたら、そのさけびは、ただ神ご自身が望まれるとおりの方法に従って 神を満たし、神を喜ばすためのものなのだと感じていなくてはなりません。
外においてのさけびは、自分自身の望みをかなえるためのものであり、私 たち自身の方法によってなされます。内なるさけびは、神ご自身の方法で神の望まれることをかなえ、神を実現させるためのものです。絶えまなく内的さけびが あるのでしたら、それは私たちが神を喜ばせようとしているのであり、神ご自身の方法に従って神の望まれることをかなえ、神のご意志を実現させようとしてい るのです。
聖なる沈黙の中に過ごしつつも、こころの内に向かっては強い求めさけび を起こしていることができると、神にささげる深い感謝の想い、グラティテュードが大きくなっていきます。グラティテュードが宿るのは内なるさけびの中にで あり、しかもそのグラティテュードの中におわすのが神だからです。
神の大好物のご馳走を盛り合わせるのは、
私のハートの
グラティテュードに流れる涙と、
私のいのちの
満ち足りて安らぐ晴れやかな微笑み。