神が私たちに能力以上のことを頼まれることは決してありません。すでに神は、必要な能力を私たちにお与えくださっています。
今現在のゴール目標がどこにあるか私には分からない、と言うかも知れませんが、何も差し障りありません。ただ進むだけです。もしまちがった方向に行ったとしても、じきに気づいて別の方向に向かい、結局はあなたの目標に到達します。
しかし全然動かなければ、正しい方向に進む望みは全くなくなります。仮に私ごころのない仕事、無私透明なこころでささげる仕事ができないというのなら、し たい仕事をまず何かすればよいのです。誰かの手助けをしている際に私欲を図るエゴとか、虚栄心やうぬぼれがもし入り込んできても、好きにさせておきなさ い。そこから得られる満足では飽き足らなくなる時がいつの日か訪れます。そうした満足感はせいぜい二,三秒もつに過ぎないとはっきり分かってきます。そう なると、もっと気高いこころざしでなす仕事を求めるようになります。
私はいったい誰?
私とは,私のいのちが仕上げる
神がモデルの未完成作品。