私のソウルの神聖な誓いと「愛・ディボ-ション・サレンダ-」のいのちとが、やがて世界中にくまなく、最愛の至高の主スープリームの御こころをかなえるようになります。
一輪のみごとに咲いた花になってわが身を神にささげるには、まず先に花そのものになる必要があります。どうすれば花になれるでしょうか?それは、やがて最 後にはなるつもりでいるものを、絶えずこころにいだき続けることによってです。私たちがなろうとしているのは神の道具です。
さて、もしひとつの道具となってしまっているのなら、それは私たちが行為者ではないということです。他の誰かが行為主体です。私たちは造物主ではありませ ん。被造物でもありません。傍観者でさえもありません。私たちは、単に神がなしておいでのひとつの体験にすぎません。神が私たちの中で、私たちとともに私 たちのために体験しておられるのです。
神は私たちの中におわす造物主であり、体験そのものでありその観察者であると感じ、決して私たちが何かをしているのではなくて、神こそが私たちの中で私た ちを通して、私たちのためにあらゆることをなさっておいでの方なのだと感じるようになると、その時には私たちは、至高の神スープリームにささげるのにふさ わしい、一輪のみごとな花になっています。
あなたのアスピレーション・ハートを
神に完全に調和させなさい。
それからコンサートを始めるのです、
マニフェステーションの光の調べを奏でて。