祈りと瞑想をすると、聖なる光を受け取りすべてが明瞭になります。
神への強い憧れをいだくアスピラントであっても、ある時はただ神を思い描くしかできなかった り、またある時には、外の世界で努力しているのに内に神の現存を感じないでいるかもしれません。神の存在すら、時には忘れ去っているかもしれません。しか しマインドの知性でしっかりとらえておかなくてはならないのは、自分には大いなる源が備わっていて、それは光であり、果てしない光、無限の光輝であるとい うことです。
無知の愉悦の世界を何年もさまよってきており、まだ無知の世界を脱していませんが、無知がアスピラントの源になっているのでは ないと知るべきです。源は光でありきらめく歓喜です。存在しているのはこの源泉のためであって、意欲的な努力を積み重ねているのも大いなる源泉の高みを取 り戻そうとしてなのです。そして戻る道すがらにあっては、神なるきらめく歓喜をこの地上の物質次元世界に、はっきりと現し出そうとそているのです。ある程 度は今でも無知の世界の中にいますが、しかしいつも神なる大生命のためにあり、いつも神なる無限の光輝のためにあるのです。
それをこころにとどめていると、絶えず満ち足りた思いで過ごすようになり、こころの外にあっても光を、もっと多くの光、豊かにあふれる光、無限の大いなる光輝を感じるようになっていきます。
ハートはしきりに求め 聞こうとしています、
澄みわたる静寂の中に伝える
きらめく「沈黙の光」の語らいを。
ソウルはしきりに求め 至ろうとしています、
円満充足にはちきれんばかりの
神のあふれる歓喜に。