私たちの崇高な義務は、ひとの中におわす神に瞑想することです。私たちの崇高な義務は、ひとの中に神を見ることです。それはつまり、大いなる不死不滅にある崇高な絶対神格を愛することです。
身のすべてを惜しみなく与える絶えまない自己譲与によって、自己完成の極みに向けて雄々しく進んで行けます。他に方法はありません。あなた自身を至高の神 スープリームに、こころの奥深くから想いの限りを尽くして、何もかも無条件にささげなさい。そしてスープリームがあなたのためにしてくださらないことな ど、何ひとつないのだと感じ取りなさい。
さらには、もし仮にスープリームが何もあなたにしてくださらなくても、それは神の側のお仕事だということです。あなたにとって何が最善なのかスープリーム はご存じです。あなたが自分で必要だと思うものが実際に必要なものなのではありません。スープリームがあなたに必要だとお思いのものこそがそれです。
すべてを惜しみなく与える自己譲与は、断固として間違いなくあなたにぜひ必要なものです。これこそは、スープリームがあなたの人生に望まれる唯一のものだからです。ですから惜しみない自己譲与に依るのなら、ただその時にのみ、完成の極みに悠々と進んで行けるのです。
神の中のひとを愛するなら、
高次の意識の光が導く大胆果敢な世界に
まちがいなくすっぽりと包まれる。
ひとの中におわす神に奉仕するなら、
崇高な信にあって大胆果敢の高次の意識の光が
わが意を得たりと片時も離れない。