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7月14日

マインドと死のふたつが超越されると、新たな安らぎの場を得ます。光がそれです。超越のかなたの聖なる光です。

   瞑想をすると、あなたの中であなたを通して光の作用が生じます。瞑想中に得る光は、自分だけではなくて他の人々にも役に立ちます。光を得てもそれを好き勝手に使えると思っていては、まちがったこころ構えです。光を与えてくださるのは神であり、その光を私たちの中で私たちを通して他の人々のためにお用いになります。
   実際のところ、私たちはときどき光を誤用します。自分自身のために世の中を手に入れようという場合には、光はまちがった使い方をされています。しかし神ゆえにこの世の中を受け入れようというのでしたら、光のまちがった使い方をすることなどあり得ません。世の中を受け入れようと思うのも神がお用いになるからなのだ、という正しい思いにあるのでしたら、その場合には世の中を所有しようとしたりはしません。
   自分の意識をいだいたまま、沈黙と活発な動きの混じり合った海の中に私たちが飛び込みます。神は良い機会をお与えくださるかあるいはご自身でその場を光の形をとって演じになって、私たちが広大な世界に入って行けるようにしてくださります。その時には何ひとつ所有するものはありません。ただワンネスの想いを働かしているだけです。

神がほら 光としてあられる、
歓喜 歓喜、
私のすべて 私のすべて。
神がほら 光としてあられる。