グラティテュードとは、こころ馳せるままに、崇高の極みなる絶対者をごく純朴に気遣う想いです。
崇高の極みなる絶対者は、最も低い次元のことをこころに掛け、案じておられます。一番の低次元世界もまた、最高の高みの存在に何がしかの関心をいだいて当然と言えるでしょう。
「関心を持ってみたところで、神のために何ができるというのですか?」と尋ねるかも知れません。しかしもし仮に私たちが、普通の、神への想いなど持ち合わ せてはいない、動物も同然の暮らしをするとしたら、神は私たちをどうお思いになるかを知らなくてはなりません。その答えは、神はとても不憫にお思いになる のです。そんな状態でいては何ひとつ進歩するところがないし、神がご自身を地上世界に現される神のマニフェステーションについても、足を引っ張っていると お感じになるでしょう。
究極の極みに関心をいだくと、私たちにできることを感じ取れるようになります。それは他でもない、深い感謝の想い、グラティテュードを良く眺めわたすには、これがひとつの方法です。
夜には
ただ神の夢だけを見、
昼には
ゆったりといのちが浸る、
凪ぎを知らぬ感謝の愉悦のうねりとなって。