崇高なる存在への徹底したサレンダーのみが、神の高みに強く憧れて励むアスピラントを助ける唯一の力であり、人生の物質的な問題や、こころの問題のすべてと取り組んで、征服できるようにしてくれます。
私たちの主体性・独自性そのものをサレンダーするのではありません。制約となる地上的なものにとらわれた個性、私たちを束縛する個別性のみを明け渡すのであり、「私たち」と言わず、「私、私のもの」と口にする個人性がサレンダーされるのです。
ここでなされるのは、神との、そして神の御意志との意識的な同一性を発達させていって、分かちがたい神とのワンネスを達成することです。そこに至っては、 ひととしての取るに足らない個性を無くすのではないか、と憂えたりはしません。代わりに、神の無限の広大さを得るからです。
何をなすにも、
サレンダーに基づいていなければならない。
何をなそうと
サレンダーを欠いては、
どれもこれも全く無意味で無益。